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まるい土のじかん  入澤ユカ(INAXギャラリーチーフディレクター)

土、土、土。で思念がいっぱいだった頃に、任田進一の土にも出会った。任田の土は黒い。
自分で丸めた黒い塊だった。しかしその黒さには、少しだがまがまがしさが潜んでいるよ
うに感じた。鉄粉や粉塵も混じっている印象の黒い土。タール状の粘りをもった廃土のよ
うな疲弊した土のように思えた。それは彼のインスタレーションの、廃業した病院の玄関
一面に敷かれた土に古靴を埋め込み、それら一面にタールの輝きを持つ。くねったかたち
の黒い土の塊が置いてあるものからの連想だった。しかし驚いたのはその黒い土の塊で、
廃業の病院という強い記号性をもつものへ流れていきそうになる感覚を、断ち切っていた。
黒い塊のいくつかによってその場所は、ただあるがままにリセットされた、と思った。土
のちからに違いない。

任田は印刷のしごとをしている。それも彼が黒い土へたどり着いた理由のひとつなのでは
ないかと単純な連想をしたが、その連想が尾をひいた。印刷とは何か印したものが、粘り
つく黒いものをまとって、ある装置と行為をとおして文字や図形になってあらわれてくる
ものである。印刷は、人間の意識をかえたメディアとして論じられることが多いが、任田
はもっと直接的に、印刷とは何かとんでもないものを物質として放射しているものである
かのように感じて、黒い土を自分の表現に選んだような気がした。そして、彼はインクの
元であるような黒い土に、メディアや文字や意味を重ねなかった。ただうねうねとした石
のような骨のような塊をこしらえて、病院の玄関や、シャワー室や、ボイラー室に置いて
みた。丹念に丸めてつくった自分の黒い土を置くことだけで、意味や既視感に流れていく
ものに棹さした。土を選ぶものは、無意識に、何かを戻すちからをもっている。土を選ぶ
ものたちの感知能力に、こんどもまた目を開かれた。

少し前の作品は、透明なガラスの水槽に黒い土の塊を吊るしてあるものだった。コの字形
の正面には台座にのった、まるで祭壇のように見える5つの水槽。両脇には、寺にある水
桶とひしゃくを掛けておくようなフック板があり、そこに黒い土の塊がいくつも下げてあ
る。気に入ったものを取り出して、気に入った水槽に沈めるインスタレーションだった。
土の水葬、墓参り。入れた途端に泡を出し続ける塊はやがて溶け、また土となって水底に
つもる。清新なできごとだった。新作は、もっと清澄になった。土のかたちが球体になっ
た。まん丸い土が水槽1つに1個、浮かぶように吊るされている。丸い土が、水の中で小
さな泡とともに、真っ直ぐな流れのように糸をひき水底に沈む。土が洗われていくじかん
があった。土は水にさらされて息をふきかえす。透明な水槽、光っている土の球体、水の
中で生まれる無数の泡とともに、土が生まれかわっていく。なぜ土とは、きれいに現れて
くるものなのか。知れば知るほど土への想いがつのっていく。